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【184】栄光の日々  後編
 meg  - 10/4/12(月) 15:31 -
  
「うまくやってるかな、ミラ……」
 リーネ広場の中央、マールディアの鐘の前で立ち止まり、ラトはぽつりとつぶやいた。何種類もの草花が年中咲き誇るこの広場は、大勢の人の交流の場として親しまれていた。とくに今日は月に二回の市が立つ日で、あちこちから品物を売りさばく声が聞こえ、周囲は活気に満ちている。
「心配性だな、ラトは。ミラなら大丈夫だって! それよりいろいろ売ってるぞ、せっかくだしなんか買うか?」
 キッドが上機嫌で近くの店をのぞいてまわっている。男勝りなキッドだが、買い物好きなところは普通の女の子と変わらない。思わずくすりと笑ったラトは、次の瞬間大声を出していた。
「キッド、危ない!」
 後ろ向きに歩きながらよそ見をしていたキッドは、ラトの警告に慌てて向き直ったが、時すでに遅く、前からやってきた少年と正面衝突をする羽目になった。会場は結構ごった返していたがこの時彼らの周りに人はおらず、ぶつかった反動で二人とも石畳に尻餅をつく。
 キッドに駆け寄りかけたラトは、ふいに聞こえた音にはっとして頭上を振り仰いだ。聞いた者に幸せを運ぶと言われるマールディアの鐘が、その美しい音色を響かせている。
 その時とっさに思い出したのは、幼いころ母が語ってくれた、父や智の賢者との大冒険の話だった。ラトの両親も、昔この場所で正面衝突して出会ったのだ。その時も、今のように鐘が鳴ったと言っていた。
 振り返ると、キッドはぶつかった赤いバンダナの少年が差し出した手につかまって立ち上がるところだった。普段のキッドなら立ち上がる前から相手に文句を叩きつけているはずなのに、今日な妙におとなしく少年の謝罪を聞いている。
 二言三言少年と言葉を交わしていたキッドがこちらを振り返り、つられて少年もラトの方へと視線を向けた。
 海の底を思わせる、深い青色をした少年の瞳を見た瞬間、ラトは何か素敵な事が起りそうな予感を強く感じていた。


 食堂と同じく地下に設計された騎士寮の談話室の壁には、一振りの立派な剣が飾られている。
 中世の時代、二人の勇者の手によって輝きを放っていた聖剣、グランドリオン。
 騎士全員が訓練のために出払い誰もいなくなったこの部屋に、ミラは一人たたずんでいた。王が壁の剣を見つめる小さな背中になんと声をかけたものかと躊躇していると、気配を察したらしくミラが振り返った。
「何かご用でしょうか、陛下」
 ラトと同年代とは思えない、大人びた口調と穏やかな微笑み。何がこの少女にそうさせているのか、王には不思議に思えて仕方ない。
「君とこうして話してみたくなってな」
「わたしも……ずっと陛下とお話ししてみたいと思っていました」
 意外な答えが返ってきて、王はまじまじと見らを見つめてしまった。ミラも、フードの奥にのぞく青い瞳でじっと王を見つめている。
 その眼差しに、強い既視感を覚えた。鮮やかによみがえる記憶。雪山のいただき、灯のともる樹の下で目覚めた自分を見ていた仲間たちの眼差しと、ミラのそれはよく似ていた。
 くらり、と軽い目眩が王を襲う。なぜそんな目で俺を見る? あの時の、彼女と同じ澄んだ瞳で……。
 手近にある手すりにつかまって、どうにか転倒だけは免れた。そんな王の耳に、そっと語りかけるミラの声が聞こえる。
「天使の迷う場所、という言葉をご存知ですか?」
「天使の、迷う場所……?」
「世界は、分岐と選択によって成り立っている。ある分岐点でどの選択肢を選んだかが、その後の未来を決定するんです。そんな分岐点の生まれた場所、選択肢の分かれた場所の事を、天使の迷う場所と呼びます」
 ミラの静かな声が、談話室に小さくこだまする。
「私にとって未来が大きく分岐した場所、私にとっての天使の迷う場所は……」
 こつこつ、と革のサンダルの踵で床を打ってみせる。
「ここ、なんです」
「……それは、どういう……?」
 問いかける王からその背後へと、ミラの視線が移る。王が振り向くと、王妃と智の賢者が階上から降りてきていた。王が戻るまで待っていられなかったらしい。互いの意思を目で確かめあい、ミラに向き直る。ミラはそれを待っていたかのように話を再開した。
「十五年前……そろそろ十六年になりますけど、かつてガルディア打倒をかかげたパレポリ軍が、ゼナンの橋で王国騎士団とにらみ合った事がありましたよね。その時陛下は、戦争を避けるために自らパレポリの指揮官に交渉を持ちかけ、その交渉は成立した。今も王国が栄えているのは、その危機を乗り越えたから……でもあの時、もし交渉が決裂していたら、その後の世界はどうなったか想像できますか?」
 ミラはいったん言葉を切った。彼女と対峙する三人はただ絶句していた。様々な経験を積んだ彼らでさえ、ミラの意図が読めなかった。
「天使の迷う場所は、そんな分かたれた世界が隣り合う場所でもあります。交渉成立か、それとも決裂か…それによって私の未来が、ここで……」
 唐突に途切れた言葉に不審を覚えてミラの顔を見ると、彼女はどこか遠くを見つめていた。その口から、小さなつぶやきがこぼれる。
「……鐘の音が、聞こえる……」
 確かに、聞き覚えのある鐘の音が、どこか遠いところから響いていた。
「そんな……どうして? ここからだとあの鐘の音は聞こえるはずはないのに……」
 城の事を一番よく知る王妃が驚きの声を上げる。その声で我に返ったミラは、微笑と共に王妃の疑問に答えた。
「あれは、ここの鐘の音じゃないんです。私はもう、帰らないといけない……」
 その言葉を裏付けるように、グランドリオンの真下、ミラの背後の床に、不思議な緑の光が現れた。それぞれに驚きの表情を浮かべる大人たちを順に見つめる、ミラの微笑はどこか寂しげだった。
 ミラは後ろへ大きく一歩下がった。緑の光の上に立ち、今度は明るく笑ってみせる。その笑顔が、一瞬王の中で誰かと重なった。
「皆さんとお話できて、嬉しかった。どうか、これからもお幸せに……」
「待てよ、ミラ! 君は、一体……?!」
 王が、慌てるあまりに素の口調で呼び止めようとする。しかし、無情にも変化は始まっていた。緑色の光が強くなり、少女の足元から風が湧き起こる。渦巻く風はだんだんと強さを増して白いマントをはためかせ、偶然少女の頭部からフードをはぎ取った。
「……!!」
 誰もが少女の素顔に声も出ないほど驚愕した。見覚えがあるどころではない。毎日会っているあの人物と、何もかも同じその姿。
 強い光に紛れていく少女が何かをつぶやいたが、風の音にかき消されて三人の元へは届かなかった。あるいは、彼らに向けたものではなかったのかもしれない。あまりの眩しさに、目を開けていられなくなる。
「……ラト!」
 王が叫んだその時には、少女は白いマントだけを残して消えていた。


 美しい鐘の音が、暮れゆく空に鳴り響いている。
 キッドはガルディアの森のただ中にある高台にひとり立って、リーネ広場を見下ろしていた。
 きっとトルースの町の民は、不思議に思っているだろう。十六年前、パレポリがこの地を制圧してからは、一度も鳴る事のなかったマールディアの鐘。ある短気なパレポリ兵が無理に鳴らそうとして、ついに音一つたてなかった、ガルディア王国を象徴する鐘。
 それが今、一人の少女のために鳴っている。キッドには、その音色が少女へのメッセージのように聞こえた。

 幸せになりなさい、ラトディア。

 ふと視線を動かすと、夕日とは明らかに違う緑色の光が少し離れた瓦礫の中に出現していた。その光や風と共に、キッドの待っていた少女が現れる。
「よう、お帰り、ラト」
 声をかけると、少女はきょとんと青い瞳をまたたいてから、照れ笑いを浮かべる。
「そうだった。私もうミラじゃないのよね」
「なんだ、それは?」
 怪訝な顔で問うと、ラトは少し困惑の表情になった。
「だって、向こうで本当の名前を使うわけにはいかないじゃない? とっさに偽名が思いつかなくて、名前はないって言ったら、向こうの世界の私がミラって付けてくれたの」
 言ってから、ふっと遠くを見つめた。
「ミラ、か……。もしかしたら、向こうの私は無意識に判っていたのかもしれない。ミラー、鏡の向こうの私が会いに来たって……」
 どこか寂しげなラトの様子に気がつかないふりをして、キッドは辺りを見回した。
「しっかし、これだけまっさらになってると、いっそすがすがしいくらいだよな。パレポリの連中のやる事はどうも理解できねえ」
 かつてガルディア城が立っていたこの場所には、瓦礫以外の名残は残っていなかった。ラトもぐるりと周囲を見て、思わずくすりと笑う。
「ホントに。最初、城の中に出ちゃった時は動転しちゃったわ。慌ててすぐ近くの隠し通路から脱出したけど、もし見つかってたら不審人物扱いでしょうね」
 十六年前、パレポリが襲来した日に、生まれたばかりのラトはグランドリオンの真下にある隠し通路から脱出した母によって、その親友に託された。母の親友はメディーナにいる知人の老刀鍛冶にラトをあずけ、時々やってきては両親に関する様々な事を教えてくれた。すべては、ガルディア王家の血をひくラトをパレポリから守るために……。消息不明な両親の居場所を唯一知っているであろうその人さえ、今は行方が判らない。
 もしあの日、戦争が起こらなかったら。きっとあの世界の自分のように、大好きな人達と仲良く暮らしていたはずなのに。
「……悲しいのか?」
 うつむいてしまったラトに、キッドがそっと話しかける。ラトはまっすぐ顔を上げて、キッドを振り返った。
「……少しだけ。でも、大丈夫。私には、心強い仲間がいてくれるからね」
 手を差し伸べて笑いかけると、その意味を理解したキッドが勢いよくそっぽを向いた。夕焼けの中でもはっきり判るほど、耳まで赤くなっている。
「お、おだてても何も出ねえからな!」
 怒ったように言って、ずんずんとラトから遠ざかっていく。必死に笑いを噛み殺しながら、ラトは後ろを振り返った。役目を終えたあの緑色の光はもう見えない。
 その場所を見つめて、ふと思った。ここにあったのが、タイムゲートじゃなくて良かった。もしそうだったら、きっと両親を取り戻す代わりに、ここにいるキッドとは二度と会えなくなっていただろう。
「おいラト、何ぼんやりしてんだよ。今夜は改めて、新生ラジカル・ドリーマーズ結成記念祝いでパーっとやるぞ!」
「それはいいけど、ノンアルコールでね! キッドってばすぐ酔いつぶれちゃうんだから」
 痛いところを突かれたキッドはむ、と不満げに口元を曲げたが、すぐににやりと不敵な笑みを浮かべた。
「今日は大丈夫だって! ほら、行くぞ!」
「はいはい」
 苦笑しながらラトはキッドの後を追う。最後にもう一度振り返り、そっとつぶやいた。

 行ってきます。


                                Fin
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【183】栄光の日々  前編 meg 10/4/12(月) 13:33
【184】栄光の日々  後編 meg 10/4/12(月) 15:31
【185】あとがき。 meg 10/4/12(月) 16:01

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