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藍色の夜空を月光が見渡す。
ブンッ……ブンッ……
その月明かりの下で、風を切る音――ひとりの赤い髪の青年が、手に木刀を持ち、素振りをしていた。
「精が出ますな」
――と、言って現れたのは、余りその場にはそぐわぬ格好の男。
豪奢な上着と帽子の出で立ちだが、薪の置かれたこの民家の裏手の小スペースには、とてもミスマッチの存在だった。
若者はそれを時に不思議がる様子も無く、老人を見る。
「マール様が亡くなられてから一年……ずっと、そうしてらっしゃるので?」
いや、元々の日課だ――と、彼は一瞬喉に出かけた言葉を飲み込んだ。
彼女に病死されこの家に戻ってくる以前まで、確かに、これをずっと為してなかった……のは事実だったから。
「……自分を鍛える事は、無駄じゃないさ」
彼はそう、呟いていた。
「平和な世の中でもですか」
「それとは別に……ううん、その平和を、守るためにも」
「……」
青年が素振りを再開し、宰相たる老人は、ジッと黙った。
ブンッ……ブンッ……
「城内は今、不安な動きが出始めております」
「……」
「先王様と新王派の対立が、活発化している……内密に大陸外と交渉しているとの、情報も在ります。もし、反乱でも起こされたら……」
「…『内乱』。か……」
老人の立場から見ればそうなるのであろう言葉を、彼は言い直した――現王と成った彼の妻の再従兄弟やらは、彼が継ぐ理由の無い王位を辞退したにも関わらず、酷く彼が気に入らない顔をしていた事を思い返しながら。
王宮に戻ってきて下さるつもりは、在りませんか?
――無いね。悪いけど、俺には彼処は窮屈過ぎるよ。
雑談を交わしたのちに、宰相が行く。
月明かりが雲に隠れ始め、青年が規定の回数を意識して最後の仕上げとばかりに素振りの動作を勢い付けようと思った瞬間――
……声が。
…しまえばいい……
「!?」
時空を超えて、
世界全体に響き渡るような、
声が、
――意識が。
「サラ……!?」
彼の体を、包み込んだ。
何もかも……
混乱する彼の視界の前にラヴォスが居る。
三つの嘴が開〈ひら〉いていって、そして……
ソシテ、ソノアトドウナッタ??
聞こえたのは、ラヴォスの声。
+ + + + +
カラリ、と木刀が地面に落ちて転がった。
虚ろに成った青年の眼から、光が消える。
魂が離れる。
シュォォオオオオ オオオオオ。
『中身』を失くした肉体が、淡く光り宙に溶け込むようにして消えていく。
「……クロノ? クロノーぉ!?」
暫くしてやってきた女性が、あら……? と誰も居ないその場に呟く。
――やがてガルディア王国暦一〇〇五年。
彼の居たその王国の名は、歴史の大きなうねりの中に呑み込まれ、地図上から、姿を消す。
Fin.
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